【ニューエイジ的修行を考える①】道徳なき霊性修養の危うさ―ニューエイジ運動の影とリスク

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近年、欧米を中心に広がってきた「ニューエイジ運動」。

伝統的な宗教や修行法とは異なり、個人の自由な霊性探求や自己啓発を重視する新しい潮流として、多くの人に支持されてきました。

しかし、その一方で、私はこう感じずにはいられません――

道徳的な基盤を軽視したまま霊性を追い求めることは、本当に人を幸せにするのか?むしろ、妄想や社会との断絶を招く危険性が高まるのではないか?

この記事では、ニューエイジ的修行が抱えるリスクと、その実例について考えてみたいと思います。

 

ニューエイジ運動とは何か

ニューエイジ運動は、1960年代後半からアメリカを中心に広まった新しいスピリチュアル運動です。

東洋思想、心理学、自然療法、科学(特に量子力学)などを自由に取り入れ、伝統的な宗教の枠を超えた「個人の内なる覚醒」を目指しました。

この運動の特徴は、

●教義や戒律への依存を嫌い
●個々人の感覚や気づきを最も重視し
●「すべては一つ」「あなた自身が神性を持つ」などのメッセージを発信する

という点にあります。

一見、とても自由で希望に満ちたアプローチのように見えます。

 

しかし、見過ごせない危険性

伝統的な宗教――キリスト教、仏教、儒教など――では、霊性の成長は必ず道徳的修養(倫理的生き方)と一体でした。

例えば、

人を傷つけない
盗まない
姦淫しない
嘘をつかない
謙遜と忍耐を守る

など、基本的な徳目が徹底され、それができて初めて霊的成長が認められたのです。

しかし、ニューエイジ運動ではこれらの「行い」が軽視され、「自分が感じるままに」「自己を解放すること」ばかりが強調される傾向があります。

その結果、次のような深刻なリスクが現れています。

実際に報告されているリスク

また、1980年代のアメリカでは、チャネリングやアセンションブームの後に精神病院への入院者が急増したという報告もあります。

 

霊性と道徳は切り離せない

本来、霊性の向上とは

●まず行動を正すこと
●他者と調和すること
●自己中心性を乗り越えること

からしか始まりません。

道徳心を鍛えないまま霊性のみを高めようとすると、人は妄想に陥り、孤独になり、時には自滅する危険すらあるのです。

 

次回は、ニューエイジ的修行を行う際の具体的な注意点と対策について掘り下げます。

「自由な霊性探求」を望む人であっても、どこに気をつければよいのか?一緒に考えていきましょう。

「ニューエイジ的修行における注意点と対策」

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