聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅱ―第3回 第二の試み

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1 最も見分けにくい誘惑

マタイによる福音書4章における第二の試みは、第一の試み以上に見分けるのが難しいものです。

 「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。(マタイ4章6節)

ここで注目すべきは、悪魔が聖句を引用しているという点です。すなわち、この試みは露骨な悪ではなく、信仰的に正しく見える形をとっています。

このため、この試みは単なる誘惑ではなく、信仰そのものが試される場面と言えます。

 

2 聖句が用いられるという問題

悪魔が引用しているのは詩篇91篇11~12節の言葉です。本来それは、神が人を守られるという約束を示すものであり、信仰を支える重要なみ言です。

しかしここでは、そのみ言が別の目的のために用いられています。すなわち、「自ら身を投げる」という行為を正当化するために使われているのです。

ここに重要な問題があります。み言そのものは真実であっても、その用い方が誤っているならば、それは真理として機能しないということです。

したがって、問題は「聖句を知っているかどうか」ではなく、「どのように用いるか」にあるのです。

 

3 「神を試す」とは何か

この試みに対して、イエスは次のように語られました。

 「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 (マタイ4章7節)

ここで引用されているのは、申命記6章16節の言葉です。この箇所は、イスラエルが荒野において神を試みた出来事を背景としています。

イスラエルは、「神が本当に共におられるのか」を確かめようとしました。しかしその行為は、信仰ではなく不信の表れとされました。

イエスはこのみ言によって、「神を試す」という行為そのものを退けられました。ここで問われるべきは「神を試す」とは何かという点です。

それは単に神に求めることではありません。祈りや願いは、信仰において重要な要素です。

問題は「自分の望む結果を引き出すために神を用いる」という態度です。

すなわち、神に従うのではなく、神を自分に従わせようとする、この逆転が起こるとき、それは信仰ではなくなります。悪魔の提示した試みは、まさにこの方向でした。

つまり、神の約束を根拠にして、自分の行為を正当化し、神にそれを支えさせるという構造です。

 

4 信仰の形をした自己中心性

この試みの本質は、信仰の形をとった自己中心性にあります。一見すると、神を信じて大胆な行動をとるようにも見えます。

しかしその実質は、「自分の考えや行動を神によって裏づけさせる」というものです。ここにおいて、信仰は目的ではなく手段となっています。

これは非常に重要な問題です。なぜなら、外見上は信仰的に見えるため、誤りであることに気づきにくいからです。この意味で、第二の試みは最も深いレベルでの誘惑と言えます。

エレミヤ書7章4節には、「『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。」とあります。

神殿という信仰の象徴を、自分の安全のための根拠として用いることに対する警告です。

信仰の形をとりながらその実質を失うという問題は、時代を超えて聖書が繰り返し告発してきたものです。

 

5 現代における適用

この構造は、現代においてもさまざまな形で現れます。

たとえば、ある行動や判断に対して、「神がそう導かれた」「聖書にもこう書いてある」といった言葉が用いられることがあります。

しかしそのとき、本当に問われるべきは、その言葉がどのような文脈で用いられているかです。

もしそれが、自らの願いや判断を正当化するために使われているのであれば、それは第二の試みと同じ構造を持つことになります。

また、「信仰があるならこうするべきだ」「大胆に行動することが信仰だ」といった考え方も、場合によっては同様の問題を含みます。

信仰とは、自分の行動を神に承認させることではなく、神の御心に従うことだからです。

 

6 結論―信仰をめぐる誘惑

第二の試みにおいて明らかになるのは、信仰そのものが誘惑の対象となり得るという事実です。

すなわち、信仰は正しく用いられるときには人を導きますが、誤って用いられるときには、人を誤った方向へ導く力にもなり得ます。

ですから、重要なことは、何を信じているかだけではなく、どのように信じているかという点です。

イエスは、み言を自分のために用いるのではなく、み言に従う立場を貫かれました。ここに第二の試みに対する勝利の原理があります。

つまり、信仰とは神を自分の願望のために用いることではなく、神に従うことであるということです。

 

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