聖書と宗教

欧米型キリスト教

聖書から見た先祖崇拝─結:なぜ「救われた親」から「罪ある子」が生まれるのか

序:この問いはなぜ正面から問われてこなかったのかキリスト教の世界では、「自分は救われた」「贖われた」という表現が日常的に用いられています。しかし、そこで1つの根本的な問いがほとんど問われてきませんでした。それは、「もし本当に救われたのなら、...
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聖書から見た先祖崇拝─第8回 聖書の世界観と「家系的信仰」の回復

これまで見てきたように、聖書は決して先祖を敬うことや家族の歴史を重んじることを否定していません。むしろ、旧約から新約に至るまで、信仰は常に「個人」だけでなく、「家族」「家系」「歴史」という連続性の中で語られてきました。ところが、近代以降の西...
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聖書から見た先祖崇拝─第7回 日本宣教史:欧米宣教師が直面した最大の論点

1.ザビエル以来、宣教師たちがつまずいた核心─先祖をどう扱うか日本におけるキリスト教宣教は、フランシスコ・ザビエルの来日(1549年)に始まりました。しかし、その最初期から宣教師たちが直面した最大の問題は、日本人の先祖観をどう理解するかとい...
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聖書から見た先祖崇拝─第6回 仏壇への合掌や墓参りは偶像崇拝なのか

1.欧米型の判定基準─「仏壇=偶像」「墓参り=死者との交信」という論理欧米型キリスト教では、先祖に関わる行為の多くが偶像崇拝とみなされやすい傾向があります。その背景には、宗教改革以降の「死者との関わり」に対する警戒心、そして申命記18章の霊...
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聖書から見た先祖崇拝─第5回 聖書が禁じるのは先祖の神格化と霊媒

1.申命記18章が禁じているのは「死者との交信」であり、先祖への敬意ではない先祖を敬う文化を語るとき、必ず触れなければならない聖書の箇所が申命記18章です。 あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また...
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聖書から見た先祖崇拝─第4回 東洋的理解に近い聖書の家族観・先祖観

1.「父と母を敬え」は共同体をつなぐ戒め十戒の中心に置かれた「あなたの父と母を敬え」(出エジプト記20:12)は、しばしば「個人に対する道徳的戒め」として理解されがちです。しかし、旧約時代の社会背景を考えると、この戒めは単なる個人倫理ではな...
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聖書から見た先祖崇拝─第3回 東洋世界における先祖観の本質

1.「個人」ではなく「家」と「共同体」が中心にある東洋の世界観欧米型キリスト教が個人を中心に世界を理解してきたのに対し、東洋文化は、古来「家」「共同体」「血統」を中心に世界を把握してきました。この違いは、先祖をどう理解するかに対しても深く影...
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聖書から見た先祖崇拝─第2回 欧米型キリスト教が先祖に関わる慣習を否定する論理構造

1.宗教改革が生み出した「反カトリック的反動」と先祖否定の流れ欧米型キリスト教が先祖に関わる慣習(いわゆる先祖崇拝)を徹底的に否定するようになった出発点には、宗教改革の歴史的背景があります。中世カトリック教会には、死者のための祈り、聖人崇敬...
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聖書から見た先祖崇拝─第1回 序:なぜ先祖が欧米と東洋を分けるのか

【「先祖崇拝」の定義】 本シリーズで用いる「先祖崇拝」とは、先祖を神として礼拝することではなく、先祖を敬い、記憶し、家族の歴史として受け継ぐ態度を指しています。仏壇や墓参りも感謝と追憶の営みであり、聖書が禁じるのは先祖の神格化です。先祖尊重...
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聖書から見た欧米型キリスト教―補⑥ 神の国は「関係のただ中」に現れる

1.「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」という言葉の意味ルカによる福音書17章20~21節で、イエスは「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのた...