1 共産主義はどこから生まれたのか
共産主義について語られるとき、その起源は、しばしばカール・マルクスの思想や産業革命以後の経済格差に求められます。
確かに、マルクスは共産主義理論を体系化した人物であり、労働者の貧困や社会的不平等も共産主義が広がる重要な背景となりました。
しかし、それだけでは共産主義がヨーロッパ社会に深く根を下ろし、さらには、国家を形成して世界的な勢力へと発展していった理由を十分に説明することはできません。
本シリーズでここまで見てきたように、人が神への期待を失い、その失望が不信に変わり、最後には神そのものを否定するようになる過程は、一人の人間だけではなく、文明全体にも起こり得ることです。
そうだとすれば、共産主義の起源を理解するためには、マルクスが登場した19世紀から考えるだけでは十分ではありません。
その思想を受け入れ、成長させる土壌が、それ以前のキリスト教文明の中にどのように形成されていったのかを見なければならないのです。
なぜなら、思想は何もないところから突然生まれるのではなく、それを受け入れる精神的土壌があって初めて社会に根を下ろすことができるからです。
共産主義という思想がヨーロッパ社会に広がったという事実は、それ以前から、キリスト教文明の内部に神への失望と不信が少しずつ蓄積されていたことを示していると考えられます。
したがって、共産主義はマルクスという一人の思想家によって突然生まれたものではありません。その背景には、長い歴史の中で形成されてきた精神的土壌が存在していました。
その土壌を探ることこそが、本当の意味で共産主義の起源を理解することにつながるのです。
2 初代教会が示した神の愛
キリスト教は本来、神への愛と隣人への愛を中心として出発しました。使徒行伝には初代教会の姿が次のように記されています。
信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。(使徒行伝4章32節)
この姿の中に見られるのは、制度や強制による平等ではありません。彼らの共同生活は神から受けた愛への感謝から生まれたものであり、その感謝が自然に隣人愛として表れていました。
彼らは財産を共有することによって救われようとしたのではなく、すでに神の愛を受けた者として互いに仕え合っていたのです。
初代教会が多くの人々を引きつけた理由もここにありました。彼らは単に教義を語ったのではなく、生活そのものを通して神の愛を証ししていました。
そのため、厳しい迫害の中にあっても教会は成長を続け、多くの人々がその姿の中に希望を見いだしたのでした。
3 制度化はなぜ必要だったのか
しかし、教会が拡大するにつれて組織化は避けられなくなりました。
信徒が増えれば指導体制が必要になります。教会を維持するためには制度も必要になります。また、異端的な教えから信仰を守るためには教理の整理も必要でした。
したがって、制度化そのものは悪ではありません。むしろ教会が歴史の中で存続し、信仰を継承していくためには不可欠な過程でした。
問題は制度の存在ではなく、その制度が本来の目的から離れてしまうことにあります。
本来は神への愛を守るために存在していた制度が、いつしか制度そのものを維持することを目的とするようになり、本来は信仰を助けるための組織が、組織の存続を最優先するようになることがあります。
この現象は教会だけではなく、あらゆる組織に共通して見られるものです。そしてキリスト教文明もまた、この危険から完全に自由ではありませんでした。
4 形式化による信仰の衰退
制度が整えられること自体は必要なことですが、歴史の中では本来手段であったものが目的へと変わってしまうことがあります。教会もまた、その危険に直面しました。
教会が拡大し組織が大きくなるにつれて、信仰を守るために設けられた制度や規則は、しだいに複雑になっていきました。
本来それらは神への愛を助け、信徒たちを導くためのものでしたが、時が経つにつれて、制度そのものを維持することが優先される場面が現れるようになりました。
その結果、人々の関心は神との生きた関係よりも組織や権威へと向かい、信仰生活は内面的な変化よりも、外面的な秩序を重視する傾向を強めていきました。
このような現象は個人の信仰生活においても見られます。最初は神への感謝と愛によって始めた信仰であっても、いつしか習慣や義務だけが残り、その本来の目的を見失うことがあります。
祈りや礼拝が形式だけになり、神を求める心が弱まれば、外見上は信仰が続いているように見えても、その内側では生命力を失い始めます。
文明もまた同じです。初代教会が持っていた神への愛と隣人への愛が弱まり、信仰が制度によって支えられる状態が長く続くと、人々はしだいに教会の中に神の愛を見ることができなくなります。
そして、神の名は語られていても神の心を感じることができず、信仰はもっていても救いの実感が得られないという状況が広がるとき、人々の心には神への失望が静かに蓄積されていくのです。
5 神への愛を失った文明
ここで『原理講論』の次の記述は重要な意味を持っています。
初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である。(『原理講論』p26~27)
この記述が指摘しているのは、共産主義の原因が単なる貧困ではないということです。
もし貧困だけが共産主義を生み出す原因であれば、古代の奴隷制社会や中世の封建社会において、すでに同様の思想が大規模に発生していたはずです。
問題は、神への愛を掲げる文明が存在していたにもかかわらず、その理想と現実との間に大きな隔たりが生じていたことでした。
初代教会の信徒たちは、神を愛し、隣人を愛し、互いに助け合いながら生活していました。その姿は多くの人々に希望を与えました。
しかし、歴史が進むにつれて、人々は、神の愛を語る教会が存在しているのに、その愛が現実の中で示されていないと感じるようになりました。
その失望は単なる教会への不満にとどまりませんでした。神の愛を語る教会に失望した人々は、やがて神そのものにも失望するようになったのです。
共産主義が近代ヨーロッパにおいて発生した背景には、このような精神的変化がありました。
人々は単に貧しかったから絶望したのではなく、神への愛を掲げていた文明が、その理想と現実との間に大きな隔たりを生じさせたことによって、神への信頼を失っていったのです。
そして、神による救いへの希望を失った人々は、しだいに地上の改革や革命に新たな希望を託すようになりました。
ここに、『原理講論』が「天からではなく地から聞こえてきた救いの喊声」と語る共産主義の意味を理解することができるのです。
6 共産主義は文明の病として生まれた
このように考えると、共産主義はキリスト教文明とは無関係に生まれた思想ではありません。
それは神への愛から出発した文明が、その愛を失っていく過程の中で生まれた思想でした。
共産主義は神を否定しましたが、その神への否定は何もないところから生まれたのではありません。その背景には、キリスト教文明が抱いていた神への大きな期待と、その期待が失望へと変わっていった歴史があったのです。
だからこそ共産主義は、多神教社会ではなくキリスト教文明圏の中から生まれたのです。
共産主義はマルクスから始まったのではありません。マルクスが登場する以前から、キリスト教文明の内部には神への失望と不信の土壌が形成されていました。共産主義は、その長い歴史の中で形成されてきた精神的土壌の上に成立した思想だったのです。
次回は、「共産主義は何を受け継ぎ、何を失ったのか」というテーマを通して、キリスト教と共産主義の共通点と決定的な違いについて考察していきます。

