1 なぜ教育が重要なのか
前回、悪の支配は強制ではなく、「考えなくてもよい状態」をつくることによって成立することを見てきました。そのために、偽りや恐怖、忙しさ、環境といったさまざまな手段が用いられます。
これらの手段が特に大きな影響を与えるのが、人間の思考を形成する教育の領域です。
なぜなら、教育は単に知識を与えるものではなく、人間の思考の枠組みそのものを形づくる働きを持っているからです。
どのように考えるか、何を当然とするか、何に疑問を持つかといった基本的な姿勢は、多くの場合、幼い時期に形成されます。
したがって教育は、人間を自由へと導く力にもなり得ますが、同時に思考を制限し、自ら考えない状態を固定化する手段にもなり得ます。
本回では、悪が教育という領域を通して、どのように人間の思考を形成し、自ら考えない状態へと誘導していくのかを考察していきます。
2 幼少期の決定的影響
人間は幼い時期ほど、外からの影響をそのまま受け入れやすい状態にあります。
この時期には、物事を批判的に検証する能力がまだ十分に発達していないため、与えられたものがそのまま「正しいもの」として内面に取り込まれます。
このときに形成される価値観や思考の枠組みは、その後の人生に長く影響を及ぼします。
聖書も、「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」(箴言22章6節)と語っています。
幼少期に形成された価値観や思考の方向性が、その後の人生に深く影響することが示されているのです。
人は成長してからも、無意識のうちにその枠組みに基づいて物事を判断するようになります。
したがって、幼少期に何が与えられるか、あるいは何が与えられないかは、人間の思考の方向を決定づける重要な要因となります。
3 信頼と権威の影響力
人間は、信頼している相手から与えられる情報を疑いにくい傾向があります。
特に幼少期においては、親や教師などの影響は非常に大きく、その教えは「自分で考えた結果」ではなく、「当然のもの」として内面化されやすくなります。
このため、教育は単なる知識の伝達にとどまらず、人間の思考の土台そのものを形成する力を持っています。
聖書も、「きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない」(申命記6章6〜7節)と語り、教育の重要性を強調しています。
しかし同時に、この強い影響力が誤った方向に用いられるなら、人は疑問を持つことなく、その枠組みを受け入れてしまう危険も生じます。
4 教えることと教えないこと
ここで特に重要なのは、「何を教えるか」という点だけでなく、「何を教えないか」という点です。
人は教えられたことによって形づくられると同時に、教えられなかったことによっても、その思考の範囲を制限されます。
たとえば、ある考え方や視点にまったく触れることがなければ、人はそれを「別の可能性」として認識することさえできません。
すると、人は与えられた枠組みの中だけで物事を考えるようになり、その外側を疑うこと自体が難しくなります。
その結果、人は自分で考えているつもりでありながら、実際には与えられた枠組みの中だけで判断するようになります。
このように教育は、直接的に何かを教えることだけでなく、何を考えさせないかによっても、人間の思考を方向づける力を持っているのです。
この構造は外からは見えにくいため、本人がその制限に気づくことは容易ではありません。
5 批判的思考の欠如
教育におけるもう一つの重要な問題は、批判的思考の欠如です。批判的思考とは、与えられた情報をそのまま受け入れるのではなく、それを吟味し、検証する能力を指します。
この能力が育てられないとき、人は外からの情報や権威に対して無防備な状態となります。その結果、どのような内容であっても、それが提示される形によっては容易に受け入れてしまいます。
聖書は「にせ預言者を警戒せよ」(マタイ福音書7章15節)と警告していますが、これは、何が真理で何が偽りかを見分けることが求められているということです。
しかし批判的思考が育っていない場合、その見分ける力は十分に働きません。このとき人は、誤った教えに導かれても、それに気づくことができない状態になります。
悪の支配にとって最も都合が良いのは、人が疑問を持たず、自ら吟味しない状態だからです。
使徒行伝17章11節には、ベレヤの人々が「果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた」と記されています。
聖書は、与えられた教えを無批判に受け入れるのではなく、自ら吟味する姿勢を肯定しているのです。
その意味で、見分ける力は他者から与えられるものではなく、み言に照らしながら、自ら繰り返し問い続ける姿勢の中で育成されていくものです。
6 支配の手段となる教育
以上のことを総合すると、教育がどのようにして支配の手段となるのかが明らかになります。
教育はただ知識を伝えるだけではなく、思考の枠組みを形成し、その範囲を決定する力を持っています。
もしその教育が、疑問を持たせない形で行われるならば、人は自ら考えることをやめ、与えられた考え方や価値観を当然のものとして受け入れ、その枠組みの中だけで判断するようになります。
この状態になると、外的な強制を必要とすることなく悪の支配が成立します。内面に形成された思考の枠組みそのものが、その人の判断と行動を無意識のうちに誘導するからです。
使徒パウロは、「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない」(コロサイ人への手紙2章8節)と警告しています。
人間の内面に形成された思考の枠組みは、ときにその人自身を見えない形で束縛する力となり得るのです。
ここにおいて、教育は悪の支配を最も安定した形で維持する手段となります。
7 まとめ
以上のことから明らかなように、教育は極めて強力な影響力を持つ領域です。それは人間を真理へと導く手段ともなり得ますが、同時に思考を制限し、支配を固定化する手段ともなり得ます。
したがって問題は、教育そのものではなく、それがどのように用いられるかにあります。
次回は、このように形成された思考の枠組みが、健康、仕事、人間関係といった具体的な生活領域においてどのように働くのかを考察していきます。

