聖書に学ぶ礼拝と賛美―第3回 救いと賛美

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1 救いの直後に歌が生まれるという事実

聖書において、賛美がどのように生まれるのかを最も端的に示しているのが、出エジプトの出来事です。

イスラエルの民はエジプトの支配から解放され、紅海を渡り、追ってきた軍勢が滅びるのを目の当たりにしました。その直後、彼らが行ったのは「歌うこと」でした。

 主にむかってわたしは歌おう、彼は輝かしくも勝ちを得られた、(出エジプト記15章1節)

ここで注目すべきは、救いの出来事と賛美の間に時間的な隔たりがほとんどないという点です。出来事が起こった直後に、賛美が生まれています。

これは偶然ではありません。聖書は、救いを経験したとき、人の内面から自然に賛美が生まれることを示しています。

したがって、賛美とは後から付け加えられる装飾ではなく、救いの中から自然に生まれるものであると言えます。

 

2 モーセの歌の構造

出エジプト記15章に記されている「モーセの歌」は、単なる感情の発露ではなく、明確な構造を持っています。まず、神の行為が宣言され、その意味が解釈され、そして最後に神の支配が告白されます。

 主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、彼こそわたしの神(出エジプト記15章2節)

ここでは、「何が起こったか」だけでなく、「それが自分にとって何であるか」が語られています。すなわち、出来事が単なる外的事実としてではなく、意味を持ったものとして理解されています。

さらに、「主は永遠に統べ治められる」(出エジプト記15章18節)と結ばれることによって、その出来事が一時的な勝利ではなく、神の永続的な支配の現れとして位置づけられています。

このようにモーセの歌は、出来事の記述、意味の解釈、そして信仰の告白という三つの要素から成り立っています。

 

3 救いの出来事と賛美の関係

ここで明らかになるのは、賛美が単なる感情的反応ではないということです。

確かに喜びや安堵といった感情は含まれていますが、それだけではありません。賛美は、出来事をどのように理解するかという「意味づけ」の行為でもあるのです。

同じ出来事であっても、それを偶然と見るのか、神の働きと見るのかによって、その後の受けとめ方や行動は大きく異なります。

出エジプトの民は、自分たちの解放を単なる歴史的事件としてではなく、「主がなされたこと」として理解しました。その理解が賛美として表現されたのです。

したがって、賛美とは、出来事に対する反応であると同時に、出来事の意味を明らかにする行為と言えます。言い換えれば、賛美は信仰的認識の表現なのです。

また、この歌はモーセだけでなく、女預言者ミリアムが女性たちとともにタンバリン(口語訳)を打ち、踊りながら歌い、それに続いた(出エジプト記15章20、21節)という形で、共同体全体へと広がっていきます。

賛美が指導者個人の言葉にとどまらず、民全体の声となっていることも見逃せない点です。

 

4 賛美は出来事の解釈である

この点は極めて重要です。賛美とは、単に「うれしいから歌う」というものではありません。むしろ、何が起こったのかを正しく理解したときに、その理解が言葉と歌となって現れるものです。

モーセの歌においても、イスラエルの民は自分たちの勝利を誇っているのではありません。彼らは一貫して、「主がなされた」と語っています。すなわち、出来事の主体を自分ではなく神に置いています。

この視点の転換こそが、賛美の本質です。出来事を自分中心に解釈するならば、そこに生まれるのは誇りや自己肯定にすぎません。しかし神を中心に据えるとき、同じ出来事が賛美へと変わります。

この意味において、賛美は一種の「解釈行為」と言えます。人は出来事をどのように解釈するかによって、その後の生き方が決まります。そして賛美は、その解釈を公に表明する行為なのです。

 

5 歴史の中における賛美の原型

そして、出エジプト記15章のモーセの歌は、その後の聖書全体における賛美の原型となっています。

詩篇に見られる多くの賛美も、同様に神の行為を想起し、その意味を語り、神をほめたたえる構造を持っています。

つまり、賛美は抽象的な概念から生まれるのではなく、具体的な歴史の中での神の働きに根ざしています。

神が何もしておられないのに賛美が生まれることはなく、神の行為を認識するところに賛美が生まれるのです。

この点において、賛美は現実から切り離された行為ではありません。むしろ現実をどのように見るかという視点そのものに関わっています。

 

6 まとめ

本稿では、出エジプトの出来事を通して、救いと賛美の関係を考察しました。

モーセの歌は、賛美がどのように生まれるかを示す原型です。賛美は救いの出来事の中から自然に生まれるものであると同時に、その出来事の意味を解釈し、告白する行為です。

そこでは、出来事の主体が神であることが明確にされます。したがって、賛美とは単なる感情の表現ではなく、歴史の中で神が何をなされたかを認識し、それを意味づける信仰的な行為なのです。

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