聖書に学ぶ礼拝と賛美―第2回 なぜ人は賛美するのか

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1 「歌え」という命令の意味

聖書を読み進めていくと、「主にむかってうたえ」「ほめたたえよ」「喜びの声をあげよ」といった命令が繰り返し現れることに気づきます。これは詩篇において特に顕著です。

 地のもろもろの国よ、神にむかって歌え、主をほめうたえ。(詩篇68篇32節)

 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。(詩篇100篇1~2節)

ここで注目すべきなのは、神に向かって歌い、また声をあげることが命令形で語られている点です。

つまり賛美は任意の行為ではなく、神との関係において、当然求められる行為として位置づけられているということです。

しかし、この命令を単純に「義務」として理解すると、本質を見失うことになります。

聖書における命令は、外側から強制される規則というよりも、人間の本来のあり方を指し示すものです。

すなわち、「うたえ」という命令は、「人は本来、神に向かって歌う存在である」という事実を示していると言えます。

 

2 賛美は義務か、それとも自然に生まれるものか

では、賛美は義務なのでしょうか。それとも自然に生まれるものなのでしょうか。この問いは、賛美の本質を理解するうえで極めて重要です。

前回見たように、礼拝は神との関係そのものであり、賛美はその関係から生まれるあらわれです。

この構造に立つとき、賛美は本来義務として行うものではなく、関係の中から自然に生まれるものであることが分かります。

その典型的な例が、出エジプトの後に歌われたモーセの歌です。前回も参照しましたが、出エジプトの場面は賛美の本質を考えるうえで繰り返し立ち返るべき原型です。

 主にむかってわたしは歌おう、彼は輝かしくも勝ちを得られた、(出エジプト記15章1節)

ここには、「歌わなければならない」という意識は見られません。むしろ、神の救いを経験したことによって、内面から自然に歌があふれ出ています。

これは、賛美が本来、出来事を経験したときに、内面から自然にあらわれるものであることを示しています。

したがって、賛美は命令であると同時に、神との関係の中から自然にあらわれるものという二重の性格を持っています。

命令として語られているのは、人間がその本来の状態から離れてしまう可能性があるからであり、同時にそれが自然に生じるのは、神との関係が回復されたときに必然的に起こるからです。

 

3 言葉と歌の違い

ここでさらに考えるべきは、なぜ聖書は「語れ」ではなく「歌え」と命じるのかという点です。言葉で神をたたえることも可能であるにもかかわらず、なぜ歌うことが強調されるのでしょうか。

この違いは、人間の表現の構造に関わっています。言葉は主に意味を伝達する手段ですが、歌は意味に加えて感情や身体性を伴います。すなわち、歌は人間のすべての内面を用いて表現されるものなのです。

詩篇を見ると、賛美はしばしば楽器や声の高まりとともに語られます。

 ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。(詩篇150篇3節)

ここに示されているのは、賛美が単なる言語行為ではなく、人間の存在全体を通して表されるものであるという事実です。声、身体、感情、記憶が一つに結び合わされるとき、言葉は歌へと変わります。

したがって賛美とは、神の救いや恵みを理解するだけでなく、それを全存在で受け取り、表現することです。

 

4 人間はなぜ歌うのか

以上を踏まえると、人間がなぜ歌うのかという問いに対して、一つの方向性が見えてきます。

神が言葉をもって世界をつくり、秩序と美をもたらされたお方であるならば、そのかたちとして造られた人間もまた、意味と感情を一つにして表す存在として造られていると言えます。

すなわち人間は、単に理性的に理解するだけでなく、感じ取り、それを表にあらわす存在であるということです。

神との関係においても同様です。神を理解するだけでなく、その関係の中で、喜び、感謝し、それを表にあらわすことが求められます。そのとき、言葉だけでは表しきれないものが、歌という形で現れるのです。

この意味において、賛美は人間の本質に深く関わっています。賛美は特別な人だけの行為ではなく、人間が神に向かうときに自然に現れる普遍的な表現なのです。

しかし同時に、人はしばしばこの本来の状態から離れます。神との関係が見えなくなるとき、賛美もまた失われます。

そのために聖書は「歌え」と命じるのです。それは強制ではなく、本来の状態への回復を促す呼びかけです。

 

5 まとめ

本稿では、「なぜ人は賛美するのか」という問いを通して、人間の本質に迫りました。

聖書における「歌え」という命令は、単なる規則ではなく、人間の本来のあり方を示すものです。

賛美は義務として課されるものではなく、神との関係の中から自然に生まれるものです。そして、言葉を超えて人間の全存在を動員する表現であり、神との関係を最も豊かに表す行為です。

したがって、人が賛美するということは、神との関係の中で本来の自分自身を回復することにほかなりません。

 

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