聖書に学ぶ父性の役割―第1回 神はなぜ家庭の中心に父を立てられたのか

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近年、「父性の欠如」が子どもの人格形成や社会のあり方に大きな影響を及ぼしているという指摘を耳にすることが多くなりました。

忍耐力や責任感の低下、自己中心的な傾向など、その背景には、家庭における父親の役割の変化があるのではないかと論じられています。

それでは、父性とは本来どのようなものなのでしょうか。父とは家計を支える人のことなのか、それとも家庭を統率する人のことなのか。

こうした問いに答えるためには、現代の価値観ではなく、人間を創造された神の御心に立ち返る必要があります。

本シリーズでは、創世記を出発点として、聖書が語る父性の意味について考察します。

 

1 男女は共に神の祝福を受けた

創世記の第1章には、神による人間の創造と祝福が記されています。

 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。(創世記1章27~28節)

この箇所でまず目を留めたいのは、「神は彼らを祝福して」と記されていることです。神は男性だけを祝福されたのでも、女性だけを祝福されたのでもありません。

男性と女性は共に神のかたちとして創造され、共に祝福を受け、共に地を治める使命を与えられました。聖書は創造の最初から、男性と女性の存在価値を共に尊いものとして描いています。

このことは、後に考える父性の問題にとっても重要な前提となります。父の役割を論じることは、男性と女性の価値に優劣をつけることではありません。まず、この土台を確認しておく必要があります。

 

2 戒めはまずアダムに与えられた

ところが、創世記の第2章を読むと、第1章とは異なる興味深い場面が記されています。

 主なる神は人をとってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。(創世記2章15~17節)

この時点では、まだエバは創造されていません。神がアダムに戒めを与えられた後、初めてエバが創造されます。

 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、その女を人のところへ連れてこられた。(創世記2章22節)

つまり、神は祝福については、男性と女性の双方に与えられましたが、戒めについては、まずアダムに語られました。この順序は偶然ではなく、創造秩序を理解する上で重要な意味を持っています。

 

3 祝福と戒めが示す神の秩序

祝福と戒めは、一見すると全く性質の異なるもののように見えます。しかし、どちらも神の愛の表れです。祝福は人を生かし、育み、その使命を全うできるようにする愛です。一方、戒めは人を守り、正しい道へ導き、秩序を築くための愛です。

上述したように、神は男性と女性の双方に祝福を与えられましたが、戒めについては、まずアダムに与えられました。この違いは、男性と女性の価値の違いを意味しているのではなく、神が家庭における秩序の確立を、まずアダムに委ねられたことを示していると考えられます。

価値と責任は同じではありません。神の前における価値は等しくても、家庭において担う責任には秩序がある――創世記はそのことを示しているのではないでしょうか。

 

4 父性とは支配ではなく責任である

現代では、「父が家庭を導く」という言葉に対して、支配や権威主義を連想する人も少なくありません。しかし、創世記が描いている父性は、そのような姿とは大きく異なります。

神はアダムに特権を与えられたのではなく、責任を託されました。神のみ言を受け、その秩序を家庭において守り、伝えていく責任です。

そこには、自分の権利を主張する姿ではなく、自らが先頭に立って責任を負う姿勢が求められています。この考え方は新約聖書にも受け継がれています。

 キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。(エペソ5章23節)

キリストは教会を支配するためではなく、ご自身をささげて教会を救うために「かしら」となられました。聖書が語る父性もまた、支配ではなく責任によって表されるものなのです。

 

5 父は家庭における秩序の担い手

創世記の第1章と第2章を並べて読むと、神が家庭をどのように築こうとされたのかが見えてきます。そこには、愛と秩序の両方によって家庭を築こうとされる神の御心が表れています。

家庭は、愛だけで成り立つものでも、秩序だけで成り立つものでもありません。祝福と戒め、受容と責任、その両方があって初めて健全な家庭が築かれていきます。

そして、神は父を家庭の中心に立て、家庭の秩序を担う責任を委ねられました。それは支配するためではなく、家族を神のみ言へと導く責任を果たすためです。

 

6 まとめ

現代社会では、「父性」という言葉そのものが誤解されることも少なくありません。しかし創世記を読むと、父性とは支配することではなく、神から委ねられた責任を担うことであることが分かります。

それは男性と女性の価値に優劣を設ける思想ではなく、家庭に秩序をもたらすために神が定められた役割なのです。

では、その父性は実際にはどのような愛として現れるのでしょうか。また、母性とはどのように異なり、どのように補い合うのでしょうか。

次回は、父性愛と母性愛という二つの愛に焦点を当てながら、神が家庭に託された深い意味について考えていきます。

 

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