1 父性の喪失が社会を変えた
本シリーズでは、「父性とは何か」という問いから出発し、その本質について聖書を通して考えてきました。
そして見えてきたのは、父性とは人を支配する力ではなく、責任を担い、人を成熟へと導く働きであるということでした。
父性愛は、善悪の境界を示し、責任を教え、子どもを家庭の外へ送り出す愛です。それは子どもを突き放すことではなく、社会の中で自らの使命を果たす人格へと成長させるための愛でもあります。
一方、母性愛は子どもの存在を受け入れ、守り、安心を与える愛です。神はこの二つの愛を家庭に備えられ、人間がその調和の中で成熟するように創造されました。
しかし現代社会では、この均衡が大きく崩れています。責任を負うことよりも権利を主張することが重視され、忍耐よりも感情が優先され、自分を律する力よりも周囲から認められることが求められる傾向が強くなっています。
本シリーズで見てきたように、忍耐力の低下、責任回避、承認欲求の肥大化といった現象も、決して父性の喪失と無関係に起こっているのではありません。
その背景には、父性が社会全体から少しずつ失われてきたという、より深い問題が存在しているのです。
前回は、その父性の根源が神にあることを確認しましたが、社会の混乱は、家庭だけの問題ではなく、人が神を父として仰ぐ心を失ったこととも深く結び付いています。
父性の回復は家庭教育の改善に留まるものではなく、社会全体の再建につながる課題なのです。
2 父性は生き方によって受け継がれる
では、その父性はどのようにして次の世代へと受け継がれていくのでしょうか。
多くの人は、父親とは子どもに教える存在だと考えています。もちろん、それも大切な役割です。
しかし、子どもが最も多く学ぶのは、父親の言葉よりもその生き方です。イエスは御自身について次のように語られました。
「子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。」(ヨハネ福音書5章19節)
このみ言は、単にイエスと神との関係だけを語っているのではありません。人格とは、命令だけによって形成されるものではなく、模範に触れることによって育まれるという原理をも示しています。
子どもは親の言葉を聞いて育つ以上に、親の姿を見て育ちます。責任を果たす父親の姿を見れば、責任を果たすことの尊さを学びます。困難から逃げず、自らの役割を担う姿を見れば、それが人格の基準となります。
反対に、どれほど立派なことを語っても、その生き方が伴わなければ、子どもの心には深く残りません。
父性とは、命令によって押し付けられるものではなく、生き方によって受け継がれていくものなのです。
3 父のようになりたいという心
人格が受け継がれる原動力は、命令ではありません。それは「この人のようになりたい」という憧れです。
幼い子どもは、父親の歩き方や話し方をまねします。仕事をする姿に憧れ、同じ道具を持ちたがり、父親と同じようになりたいと願います。そのような憧れの心が、人間の人格形成には大きな力を持っています。
本シリーズの初めに、父性とは人に高い理想を示し、その理想へ向かって歩む力を育てる働きであることを見ました。それは恐れによって従わせることではなく、自ら進んで目標へ向かいたいという心を育てることでもあります。
真の父性は、権威を振りかざして従わせるものではありません。父親自身が責任ある生き方を実践することによって、子どもの中に自然な尊敬と憧れを生み出します。そして、その憧れが人格を形成し、次の世代へと受け継がれていくのです。
したがって、父性の回復とは、父親の権限を強めることではありません。子どもが「父のような人になりたい」と思える関係を回復することに、その本質があります。
4 父性の回復は天の父に立ち返ることから始まる
とはいえ、地上の父親もまた完全な存在ではありません。人は誰でも限界を持ち、失敗し、ときには子どもを傷つけてしまうこともあります。
だからこそ、地上の父親にも目指すべき模範が必要です。イエスは山上の説教で次のように語られました。
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。(マタイ福音書5章48節)
ここでイエスは、人間を基準にするのではなく、目指すべき模範は天の父である神であることを教えられました。
前回見たように、神の父性は愛と秩序を一つにする父性です。人を無条件に受け入れながら、その人格が成熟することを願い、責任を教え、導いてくださる父です。
地上の父親が本来の父性を回復するためには、自分の経験や感情だけを基準にするのではなく、神の父性に学ぶ必要があります。
天の父を見上げることによって初めて、人は家庭の中で本来あるべき父性愛を実践できるようになるのです。
5 父の心を子へ、子の心を父へ
旧約聖書の最後に神は次のような約束を与えられました。
「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。」(マラキ書4章5〜6節)
旧約聖書は、この親子関係の回復という希望をもって閉じられています。ここで語られている父と子の関係は、単なる家庭内の和解だけを意味しているのではありません。
その背後には、人間が神を父として仰ぎ、その愛と秩序を受け入れることによって、家庭の秩序が回復され、さらにそれが社会全体へと広がっていくという壮大な回復のビジョンがあります。
家庭は社会の最小単位です。家庭の中で責任を担うことを学んだ人は、その責任を社会においても果たすようになり、家庭の中で秩序が守られれば、その秩序は社会の土台となります。
父性の回復とは、神が創造の初めに家庭に託された秩序を回復することであり、その回復は家庭から社会へ、さらに世界へと広がっていくのです。
本シリーズでは、父性の意味を家庭、人格、社会、そして神との関係という四つの視点から考えてきました。その結論は一つです。
父性の回復なくして家庭の再建はなく、家庭の再建なくして社会の再建もありません。
そして、その父性の回復は、人間の努力だけによって実現するものではなく、イエスが教えられたように、天の父へ立ち返るところから始まります。
そこから家庭が変わり、社会が変わり、神が創造の初めに望まれた秩序が回復されていくのです。

