聖書に学ぶ父性の役割―第3回 父性の喪失と境界線の崩壊

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前回は、父性愛とは責任を教え、成熟した人格の形成へと導く愛であることを考察しました。また、父性愛には、子どもの心に「父のようになりたい」という憧れを育てる働きがあることも見てきました。

それでは、その父性が失われると、家庭や社会にはどのような変化が起こるのでしょうか。

ここで言う父性の喪失とは、単に父親が家庭にいないという意味ではありません。

父親が家庭にいても父性が十分に発揮されないことはありますし、父親が不在であっても父性的な役割を担う人が存在する場合もあります。

問題は、家庭から父性という働きそのものが失われることです。そして、その影響は子どもの人格形成だけにとどまらず、社会全体の秩序にも及んでいきます。

 

1 父性の喪失は何を失うか

父性を失うとは、家庭から責任を担う主体が失われることです。

前回見たように、父性とは支配ではありません。自ら責任を引き受け、模範を示しながら子どもを成熟へと導く愛です。

したがって父性が失われるとは、単に一人の父親がいなくなることではなく、責任を担う存在、人生の方向を示す存在、そして「この人のようになりたい」と思える模範を失うことを意味します。

人は憧れる対象があるからこそ成長します。子どもは父親の背中を見ながら、生き方や価値観を学んでいきます。

しかし、その対象を失うと、何を目標に歩めばよいのか分からなくなります。父性の喪失とは、人生の羅針盤を失うことでもあるのです。

 

2 善悪の境界線を示す存在の喪失

また父性愛には善悪の境界線を示す働きがあります。

「ここまではよい。しかし、ここから先は行ってはならない。」

この境界線は、人を縛るために存在するのではありません。人を守るために与えられるものです。

道路にガードレールがあるから安心して車を走らせることができるように、人もまた人生の境界線があるからこそ安心して歩むことができます。

ところが現代では、境界線を示すことそのものが否定的に受け止められることがあります。

叱ることは子どもの自主性を奪うことだと考えられ、「好きなようにさせること」が自由であるかのように語られることも少なくありません。しかし、聖書はそのようには教えていません。

 むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。(箴言13章24節)

もちろん、この聖句は感情的に子どもを叱ることを勧めているのではありません。愛ゆえに善悪を教え、人格を守ることの大切さを語っているのです。

境界線を示すことは、自由を奪うことではなく、真の自由を守ることなのです。

 

3 見守ることと放任することの違い

一方で、父性愛はいつも厳しく介入することでもありません。父性愛には、黙って見守るという大切な側面があります。

しかし、見守ることと放任とは全く異なります。放任とは、責任を放棄することです。困っていても関わらず、失敗しても無関心でいることです。それは相手を信頼しているのではなく、責任から距離を置いている状態と言えます。

これに対して見守ることとは、必要なことは教えた上で、その人の成長を信じて任せることです。失敗する可能性があっても、自ら考え、自ら責任を負う機会を奪わないことです。

神もまた、そのような父として私たちに接しておられます。神は人間を愛しておられるからこそ、人間に自由と責任を与えられました。

そして、必要な時には戒めを与えながらも、常に人間の成長を信じて待っておられます。

父性愛とは、何でも代わりにしてあげる愛ではなく、人格の成長を信じて待つことのできる愛なのです。

 

4 秩序を失った社会の姿

父性が失われる影響は、一つの家庭だけにとどまりません。それはやがて社会全体にも広がっていきます。

聖書は士師の時代について、「そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった」(士師記21章25節)と記しています。

この聖句は、単に王という政治的指導者がいなかったことを述べているだけではありません。共通の価値基準が失われ、それぞれが自分自身を最終的な基準として生きるようになった社会を描いています。

このような社会では、責任より権利が語られ、義務より自由が求められるようになります。

しかし、その自由は、神が与えられた真の自由ではありません。境界線を失った自由は、やがて放縦へと変わり、人は自分の欲望を正当化するようになっていきます。

 

5 父性の喪失が次世代へ及ぼす影響

子どもの人格は、一日で形づくられるものではありません。日々の生活の中で責任を教えられ、忍耐を学び、時には失敗を経験しながら少しずつ育っていきます。

しかし、父性が十分に働かない家庭では、そのような経験を積む機会が少なくなります。

困難に直面すると誰かが解決してくれることを期待し、自ら責任を引き受けるよりも、人から認められることを優先するようになるかもしれません。

その結果、忍耐力が育ちにくくなり、承認を求め続ける人格へと傾く危険性も生じます。

もちろん、すべての問題を父性だけで説明することはできませんが、父性が人格形成に重要な役割を果たしていることは否定できないでしょう。

だからこそ、父性の喪失は家庭だけの問題ではなく、次の世代、さらには社会全体の未来にも関わる問題なのです。

 

6 まとめ

父性の喪失とは、単に父親が家庭からいなくなることではありません。それは責任を担う主体を失い、人生の模範を失い、人格を守る境界線を失うことでもあります。

先ほど見た士師記の言葉は、人が自分自身を唯一の基準として生き始めるとき、社会の秩序が崩れていくことを示しています。そして、そのような秩序の崩壊は、家庭の中で父性が十分に働かなくなった時にも起こり得るのです。

では、そのような社会では、人々の人格にどのような特徴が現れてくるのでしょうか。次回は、忍耐力の低下、責任回避、承認欲求の肥大化など、父性の喪失が現代人の人格形成に及ぼす影響について、さらに詳しく考察していきます。

 

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