聖書に学ぶ父性の役割―第5回 承認欲求はなぜ肥大化するのか

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前回は、父性愛とは「待つ力」を育てる愛であり、忍耐は人格を成熟へと導くために、欠かすことのできない要素であることを考察しました。

しかし、父性が十分に働かないとき、人は忍耐力を失うだけではありません。自分という存在をどこに位置づければよいのか分からなくなり、他者から認められることを強く求めるようになることがあります。

現代では、このような傾向は「承認欲求」という言葉で語られることが少なくありません。

もちろん、人から認められたいと思うこと自体は決して悪いことではありません。人は誰でも、自分の存在を受け入れてもらいたいという願いを持っています。

問題は、その承認を求める対象です。人からの評価を、自分の価値を決める判断基準にしてしまうと、次第に他者の視線に支配されるようになります。

今回は、承認欲求と父性の関係について、聖書の視点から考えてみたいと思います。

 

1 父性が育てるアイデンティティ

子どもは成長する過程で、「自分は何者なのか」という問いに少しずつ答えを見いだしていきます。その人格形成の過程で大きな役割を果たすのが父性です。

前回まで見てきたように、父性愛とは、責任を教え、人格を成熟へと導く愛でした。また、「父のようになりたい」という憧れを育てることによって、人生の方向性を示す愛でもありました。

そのような父性愛に触れて育った子どもは、「自分は愛されている」「自分には与えられた使命がある」という確かな土台を築いていきます。

自分は価値ある存在だという確信を家庭の中で育んだ人は、人から認められることだけによって自分の価値を測ろうとはしません。父性は、人格だけではなく、アイデンティティそのものを育てる働きも担っているのです。

 

2 承認欲求どこから生まれるのか

人から認められたいという願いは、人間が本来持っている自然な心です。

神は人間を愛し、その存在を祝福して創造されました。ですから、人が愛されたいと願うこと、受け入れられたいと願うこと自体は否定されるものではありません。

しかし、その願いが神から切り離され、人からの承認だけを求めるようになると、人はその心を満たすことができなくなります。

なぜなら、人間は本来、神から愛され、神から認められることによって、自らの存在価値を確信できるようにつくられているからです。

人からの評価は時とともに変わります。昨日まで賞賛していた人が、今日は批判することもあります。

そのため、人からの承認だけを人生の土台にすると、人は常に新たな評価を求め続けるようになります。こうして承認欲求は満たされることなく、さらに大きくなっていくのです。

 

3 SNS社会が映し出すもの

現代は、自分自身を世界へ向けて発信できる時代になりました。多くの人とつながることができるようになったことは、大きな恵みでもあります。

しかし、その一方で、自分がどれだけ評価されているかを絶えず意識しやすい社会にもなりました。

「いいね」の数や閲覧回数、フォロワー数などは、本来は単なる数字にすぎません。ところが、それが自分の価値そのものであるかのように感じ始めると、他人からの承認を得ること自体が人生の目的になってしまいます。

もちろん、この問題はSNSだけに限られるものではありません。人は昔から他者の評価を求める存在でした。

しかし現代では、その評価が瞬時に、しかも目に見える形で示される機会が増えたことによって、人からの承認を意識する傾向がこれまで以上に強まりやすくなっていると言えるでしょう。

父性が育てるアイデンティティは、「私は何人に認められたか」ではなく、「私は神の前にどのような人間として生きるか」という問いの上に築かれていくのです。

 

4 バベルの塔が示す人間の姿

創世記に記されているバベルの塔の記事は、人間の承認欲求について考えさせられる出来事です。

人々は、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて」(創世記11章4節)と語り合いました。

彼らが求めたものは、神の栄光ではありませんでした。自分たちの名を高めることだったのです。

もちろん、人が良い働きをして名前が知られること自体が問題なのではありません。問題は、「神のため」ではなく、「自分が認められるため」に生き始めることです。

承認欲求が神よりも自分自身へ向かうとき、人は他人と競争し、比較し、自分を大きく見せようとするようになります。バベルの塔は、そのような人間の姿を象徴的に描いていると言えるでしょう。

 

5 神からの承認と人からの承認

イエスは、人からの評価ばかりを求める宗教指導者たちに対して、次のように語られました。

 互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。(ヨハネ福音書5章44節)

また、使徒パウロも「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか」(ガラテヤ書1章10節)と語っています。

聖書は、人から認められることを否定しているのではありません。それを人生の基準にしてはならないと教えています。

父性が教えようとしているのは、人からの評価ではなく、神からの承認を人生の基準として生きることです。

子どもが他人の評価だけに振り回されることなく、「神の前に誠実でありたい」という人格を育てることこそ、父性愛の大切な働きなのです。

 

6 まとめ

承認欲求そのものは、人間が本来持っている自然な願いです。しかし、その承認を求める対象を誤ると、他人の評価によって自分の価値を決めるようになってしまいます。

父性愛は、そのような不安定な人格を育てるものではありません。責任を教え、使命を示し、「神の前に生きる自分」という確かなアイデンティティを育てる愛です。

人からの承認ではなく、神からの承認を人生の土台とするとき、人は他人との比較や競争から解放され、自らの天命に邁進することができるようになるのです。

次回は、「責任回避」という現代社会の特徴について、父性の喪失という観点から考察していきます。

 

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