聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅴ―第5回 惰性からの脱却

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前回は、プロパガンダと思想支配がどのようにして人間の思考そのものを形成し、見えない形で支配を成立させるのかを見ました。

本章では、その結果として生じる「惰性」という状態に焦点を当て、そこからどのように脱却し、主体的な信仰によって真の自由に至るのかを考察します。

 

1 惰性とは

惰性とは、単に怠けている状態ではなく、自ら考え、判断し、選択することをやめ、周囲の流れや習慣に身を任せている状態です。

このとき人は、自分で決めているように見えて、実際には外部の影響や過去の習慣によって動かされています。

この状態の特徴は、思考の停止と判断の放棄にあり、何が正しいかを吟味することなく、既に与えられている価値観や環境に従って生きています。

そのため、外見的には安定しているように見えても、内面的には主体性が失われているのです。

 

2 主体性と信仰の関係

聖書は、信仰を単に言われたことを受け入れるだけのものとしては描いていません。むしろ、それは主体的な判断と選択を伴うものです。

パウロは、「すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5章21節)と述べています。

ここで求められているのは、与えられたものをそのまま受け入れることではなく、それを識別し、自らの判断によって選び取る姿勢です。

これは、信仰が思考を放棄することではなく、むしろ思考を回復させるものであることを示しています。

 

3 恐れからの解放と意志の回復

しかし、何が正しいかを識別できたとしても、それだけで正しく行動できるとは限りません。そこには、しばしば恐れという別の問題が存在します。

惰性の背後には、しばしば恐れが存在します。失敗への恐れ、評価への恐れ、変化への恐れが、人を現状にとどまらせ、行動を抑制します。

このような恐れが強くなると、人は新しい選択や挑戦を避けるようになります。そして、「今のままでよい」「変わらない方が安全だ」と考えるようになるのです。

その結果、人は自ら選んでいるつもりでいても、実際には恐れによって動かされるようになります。

パウロは、「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」(テモテへの第二の手紙1章7節)と述べています。

このみ言は、恐れが本来の人間の状態ではないこと、そして信仰によって意志が回復されることを示しています。

ここで言われている「慎み」とは、ギリシャ語(ソーフロニスモス)で自制・節制を意味する言葉であり、感情や衝動に流されることなく、自らを制御する力を指します。

したがって、信仰は衝動に流されることではなく、意志と理性を整え、主体的に判断し行動する力を回復させるのです。

 

4 惰性によって失われたものの回復

惰性の状態では、人は自ら考えることをやめ、意志を働かせることを避け、行動もまた習慣や周囲の流れに支配されるようになります。

その結果、自分で選択しているように見えても、実際には環境や過去の経験に反応しているだけの状態となります。

しかし、信仰によってこの状態から脱却したとき、再び自ら考え、判断し、選択できるようになります。

つまり、惰性によって失われていた思考、意志、行動が回復され、人は外部の影響に流される存在から、自ら考え、選択して生きる存在へと変わっていくのです。

 

5 神との関係における主体性

では、そのような回復はどこから生まれるのでしょうか。聖書は、その源が神との関係にあることを示しています。

イエスは、「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」(ヨハネ福音書15章4節)と語られました。

ここで重要なのは、「つながる」という表現です。これは受動的にとどまることではなく、自らの意志によって神との関係を選び続けることを意味しています。

すなわち、人は神との関係の中で生きることを選ぶとき、初めて惰性や外部の支配から離れ、主体的な生き方を確立していくことができるのです。

ぶどうの木につながった枝が実を結ぶことができるように、この関係は受け取るだけの受動的な状態ではなく、源から力を受けながら成長し続ける能動的な状態です。

神につながることによって、人は思考と意志を正しく用いる力を回復し、主体的な選択を続けることができるようになります。

 

6 真の自由の確立

前シリーズの「聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅳ」でもお伝えしたように、真の自由とは、単に外的な制約がない状態ではありません。

それは、思考と意志が回復され、正しい基準に基づいて自ら選択できる状態です。

惰性は一見すると楽で自由なように見えますが、実際には、自ら考えることをやめ、環境や習慣に従って生きる状態であり、一種の内面的な束縛です。

それに対して信仰は、人を惰性から引き上げ、思考と意志を回復させます。そして神との関係の中で主体的な選択を積み重ねることによって、人は真の自由へと至るのです。

 

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